04.08.13:36
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03.02.20:06
「大城、幸運の追剥だ」 同級生の送別会が引けた明け方、車通りのほぼない牛島町の路上。大城の目前で、友人の森尾が正気を失った。だがそれも仕方がないだろう、と大城は思う。なにせ、現在眼前に倒れているのは森尾がとっている授業の担当教授である。それもただ倒れているのではない。あられもない、半裸である。冬ほどではないにしろ、冷え込みの強い晩秋の明け方に、不憫なことだ、と大城は同情した。 「森尾、追剥に遭って幸せな人間がどこにいる。全身哀れなほどの鳥肌じゃないか」 「話は聞いてたけど、まさかこんな身近に……」 老教授の露わになった上半身に釘付けの森尾は、最早大城の話を聞いていない。漫言放語のし放題である。当の被害者である教授はうつぶせで、しわしわの背中はビクともしない。意識はあっても、あまりの羞恥心に自分が教える学生になどとても顔向けできないのだ、大学教授とはそういうものだと大城は決めつけた。 PR
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03.06.23:10
昔、フリルがたくさん付いた、真っ白のエプロンをつけた母が言った。 「かすみちゃん、今日はママの女の子記念日だからお菓子を作るのよ。かすみちゃんもいつか、かすみちゃんの女の子記念日をつくりなさい、ね」 初めて、男性のためにお菓子を作る日が、女の子記念日なのだと母は言う。もう女の子とは世辞でも言えない年なのに、女子高生みたいにきゃぴきゃぴしながらメレンゲをつくる。母の女の子記念日は、今は父のための日になっているが、父自身はどうして毎年その日になると母が菓子作りを始めるのか、未だに知らない。それでいいのだと母は言う。それでいいのか、と納得した。そうして芳野かすみは、いつか自分も母のように女の子記念日を作る日が来るのだろうと、それが世の乙女としては当然の習わしなのだろうと思ってスクスクと育ち、大学生になった。 |
03.09.13:39
「さっきの追剥ね、ここ一ヶ月くらい同じ手口で多発してるらしいんだよね。ああいう感じで、上半身の衣服を剥ぎ取って逃げる事件が全部で5件。一ヶ月で5件、同じ手口で起こるんだから、同一犯だろうね。だけど今この事件が話題になってる理由はその目的の不明さだけじゃあなくって、もう一つ、追剥の被害者全員が、事件後すぐ、不自然な程の幸運を手にしているせいでもある」と喋って、森尾は一息ついた。大城が脳で噛み砕く時間を考慮してのことである。案の定、講義を聞くときと同じ、どう展開していくか分からないけど聞くだけ聞いてみようの顔で、「どんな?」と尋ねてきた。 「宝くじ一等、前後賞もあわや、背が伸びました、童貞を捨てました」森尾は聞いた噂に虚実入り混ぜて並べ立てる。真実をより真実らしく見せるためには、どうしてもそれに嘘を混ぜる必要があるというのはドストエフスキーの言葉だ。「不治の病から生還しました、落ちていたハンカチを拾ったら芸能界デビューしました、英検2級に受かりました、引きこもりだった僕にも友達百人できました、水道水が葡萄酒に変わりましたという、大小とにかく様々な幸運に見舞われているんだよ」 「それでついた名前が幸運の追剥?最後なんて幸運というより奇跡だろ」 |
03.09.13:41
秋も暮れる火曜日の朝十時半。いつもと同じく、開店から賑わう駅前百貨店にその姿はあった。ネコ目クマ下目クマ科の動物で、ラテン語による学術名をアイルロポダ・メラノレウカ、一般にはジャイアントパンダと呼ばれている。しかしここのパンダは少し違った。不自然な二足歩行で陽気に風船配りをこなし、一般にはパンダ君の愛称で呼ばれ、正式には小原という名を持っている。体毛も本物のように堅くはなく、肌触りのよい毛足の長い体毛を採用している。いわゆる着ぐるみであった。
もはや朝とも言えない時間であるにも関わらず、駅前にはまだ制服姿が多く見える。昨晩、小原同様、何かにかこつけて飲んでいたのであろうボサッとした大学生のような若者がちらほらと見られた。どうせあいつらは、やはり昨日までの小原と同じく、大した問題でもないことを敢えてウジウジ弄びながら、日々を無為で単調に過ごすばかりの人間に違いない。間違いないと小原は思う。 意味もなく叱りつけたくなった。世の中にはもっともっと考えておくべき重要事項があるんだ。例えば今意中の女の子から手作りのお菓子をプレゼントされることだとか、その包みを開けてすらいない内に無くしてしまうこととかな! |
03.11.09:47
三宅の人生最大のピンチは、高三のときに小原とともにコンビニ強盗の現場に居合わせたことであった。まさか更新される記録とは思っていなかったし、もちろん三宅は願ってもいなかった。
昨晩の飲み会で、あろうことか芳野が小原になにやらファンシーな包みを手渡していた。あれは彼女手作りのふわふわで甘くてラナンキュラスのように可愛らしくていい匂いのする、それでいて心のこもった、とにかく小原なぞには似つかわしくない腹立たしくも素敵な菓子ではないかと、三宅にとっての悪い想像はいくらでも膨らんだ。もしその通りでないとしても、ただ芳野が、その初夏の風にさわさわとゆれるアジサイのような笑顔を小原に向けていた、それだけでも三宅は腹立たしいのであった。小原にそれは何だ、と直接尋ねてみても、「まぁ、お礼のようなもの」と要領を得ない一言を寄越すだけであるし、しかし何の礼だ、いつのことだ、その包みの中身はなんだ、どういうつもりでお前はこれを受け取っているんだと、あんまり追及していては、三宅が芳野に対して抱いているすずらんのようなほのかな恋心が無粋な明るみに曝される恐れもある。そうして三宅は、この世で今一番手に入れたい包みが小原のショルダーバッグに収まるのをただ見過ごす羽目になった。
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03.17.22:11
なだらかな漏斗を下っていくように、睡眠に落ちるのとは違う。もっと取り返しのつかないような、いきなり地面がなくなるような感覚に近い。もしくは、自転車に乗る練習中に、荷台を支えていたはずの手が突然放されたときの、絶望的孤独感と言ってもいい。そこから逃げ出す手段は一つっきりだ。自転車に乗った子供は、そのまま自転車に乗れるようになるか、こけて、支えが依然必要であることを示すことができるが、森尾の場合は一つだけしかなかった。 森尾はたまに、自分と鳥とを重ね合わせてみる。枝に止まったそのときにしか、羽を休めることはできない。枝から枝へ移るときには飛ばなければいけない。飛べない鳥は死ぬ運命だ。そこまで考えて、森尾はやっと枝から足を離す。文字通り、必死で羽をばたつかせる。人は空を飛べないのに。 |
03.20.01:11
「ふっ」大城が目をかっ開いた。「ざけんな!」 森尾の口車に乗って、追剥探しを始めてから3時間が経過した時点で、移動距離が百五十キロメートルを超えていたが、その法律を度外視した走行距離を大城が知る由もない。 大城はただベトナム人並のハンドル回しを駆使し、カブに乗りっぱなしで、移動し続けていただけである。目的地として指定された場所で新たな移動を指定されもしたし、目的地に着く前から目的地が正反対の方向へ変わったりした。まさにこれぞ東奔西走。いつ目的地が市外へと移るかも知れない森尾の指示の不透明さに、とうとう大城が怒り心頭を発した。発したところで携帯に怒鳴りつける以外の表現方法は今のところなく、それがまた怒りを増幅させる。「何よりまず寒いんだよばか!」革ジャンのジッパーは首元までぎちぎちに上げていた。 |